初めてのお水【水商売はじめました!】

こんにちは!アズキです!

前回の続きのお話【お水はじめました!】という内容になるのですが、当時まだ年齢のチャックが緩かったこともあり18歳以下でのお仕事のお話ですが生活に切羽詰まった私の過去のお話を書いていこうと思います。

※今は法律も厳しく18歳以下の水商売・お風のお仕事は禁止されています。

 

私は元々の見た目がかなり年上に見られていたため、私服で上級生にあっても先輩と間違われて挨拶をされるくらい〝老けて〟見られてました。大人っぽいというのはとてもとてもオブラートに包まれた言い方で、本気の老け顔だったことが助けにもなり水商売の世界へ飛び込みました。

初めてみる大人なお姉さんたちやフィリピン人のお姉さんたちと挨拶を交わし、姉妹で働いているユキさんとアイさんという方々が教育係になってくれました。

お二人とも優しくてアイさんはヤンキー系美人。ユキさんは上品なお姉様タイプでお二人の席にヘルプとして着きながら基本のグラスの作り方や会話、所作などを見て盗むという感じで覚えていきました。

お店では一番年下ということもあり、場内指名で呼んでくれるお姉さんや、面倒見の良いフィリピン人のお姉さんたちのおかげで着実に使命を増やすことができ1週間ごとのお給料も少しずつ増えて毎日学校とお水という日々を過ごしていました。

こんな感じですが、お水といえばお酒はつきもの。

なんといっても私は下戸なので飲むことはなくジュースだけというのも雰囲気が悪くなるので、自分でノンアルのドリンクをスタッフさんに用意してもらって、決まったものだけを出すようにしてもらっていました。

ドリンクバック1杯200円。あるのとないのでは全然お給料が変わってくるので、ドリンクをいただけるタイミングでは頂くということや。その当時妹キャラになっていたので何かとお姉さんたちのおかげでお水のお仕事は順調でした。

お給料日になるたびに母の借金返済分と、光熱費などのライフラインに使う金額を分けて水道局や電気会社など溜まっている支払いを分割にしてもらい使わせてもらえるようにすることでなんとか生活ができている感じで、借金は全然減らないし、少し支払いが進むと母はまたパチンコに行くかホストに行くかという生活。

義父もたまに帰ってくると洗濯物をおいて着替えを持ってまた愛人宅に消えるという、とんでもない家庭でしたが私のやることは妹たちをなんとか生活させることと母の借金を少しでも返済していくこと・学校にはしっかりと通うことだけを考えて生活していきました。

 

数ヶ月後、自分の体に変化が・・・

 

 

なんと連日の睡眠不足と体調不良でアレルギーがひどくなり長袖以外着れなくなってしまいました。それも寝ている時に肘の内側や膝の裏側などが痒くなって掻きこわしてしまうということが続いていました。自分の病院も行かないといけないのですが、なんせ後先のことまでしっかり考えられる頭はないので病院を後回しにして食費と生活費、借金返済の分で1週間分のお給料なんて無くなってしまいます。

 

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近くの病院でアレルギー検査がやっていない・病院に行く時間がない時は自宅でできる検査キットがオススメ!

 

 

アズキ

もっと早く検査キットが売っている時代だったら・・・

 

そこでなんとか自分の衣装代(当時は派手なスーツが主流だった)を抑えるために、薄手の記事で着回しのきくものをお客様と同伴の時にスーツ屋さんで買ってもらいながらお水生活を送っていました。

当然ながらメイクもしないと年齢がバレてしまう恐れもあったので、びっくりするぐらいの濃い化粧に真っ赤な口紅という今考えるとおてもやんじゃん・・と思いながら夜のお仕事に専念していました。

年齢がバレそうですが、前髪を立てるためにVO5のスプレーやスパイキーというスプレーでガチガチに前髪を立てるアノ時代・・・笑

そして気が強い面もあることで、自分を指名してくれるお客様たちが大人しいこと・・・笑

お酒を飲んでないのに常に酔っ払いと間違われるテンションの高さということもあり、お給料は着実に増えていきました。実際生活費や借金で一瞬でなくなるくらいの稼ぎでしたが、0円で生活が出来ないよりは全然マシだったので毎日フル出勤で皆勤賞ものでした。

この当時のお給料は7時から2時まで日給12000円。時給にすると1700円くらいなので、指名料とドリンクバックや同伴バックを加算できるようにしてお仕事をしていました。週末にはお給料と明細が渡されるので、自分のお仕事手帳と睨めっこしながらお給料の確認と支払いの確認😅

 

お給料の計算は日給+ドリンクバック+指名バック+同伴バック、この総額から10%引かれて自分に支給されるという感じでした。当時の私の年齢では普通に稼げに金額ですが、もっと稼がないと母の借金が減らないなぁ・・・と毎日考えていました。

昼間は学校があるので夕方〜の仕事で1万円は毎日欲しい!という感じだったので当時は私の母も近くのお店で働いていましたが自分の稼いだ分で仕事終わりにホストへ行ったり、飲みにいって全て使ってしまうという本当に何も考えてない人ですよね🥲

母の給料日にお給料が入ったとしても毎日、日払いをしているので半分くらいしか残ってないのに、またパチンコへ行くのが習慣となっていました。

姉妹の世話は自分が出勤前にある程度済ませ、2番目の妹に〝なにかあったらお店に電話するように〟と言って電話のところにメモを残しておいて仕事に出掛けていました。母に関しては自分が気が向いた時だけ家事をするので何も言わずに喧嘩するくらいだったら自分がやってしまえば良いという毎日を過ごしていました。

義父から受けていたモラハラや暴言は私以外の小さい抵抗が出来ない妹立ちに向けられ、2番目の妹は口が達者なので年中叩かれたり、家の外に出されたりしていました。かばっても見ていない時にされるので、その時にモラハラやいじめみたいなことをされた人は自分よりも弱いものに同じようにするということがわかりました。

ですが、妹たちにとっては母親。

いくら私が何をしても母ではないのである程度の時期が来たら自分も家を出ようと考えるようになりました。ただ、お給料のほとんどが生活費と借金返済に消えるので全然計画が進まないで足掻きまくっていました。

もっと効率良い仕事は

 


 

まだ学生時代は義務教育だったので、全然世間のことを知らなくて時間を有効に使える働き口を知りませんでした。そのおかげか30歳過ぎまでお水の世界にずっといたのですが、もっと早くに稼げることがあることを知りたかった〜😥

次回も毒親と私についてのお話を書いていくので、ぜひブクマして更新をお待ちください♪

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